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カヤシマ社長【佐藤 孝一】~カヤシマの歴史と佐藤さんの歩み~

アンダーライン

【食事とお酒 カヤシマ】。吉祥寺に住んでいる人は一度は目にしたことのある看板が目印の喫茶店。
昼はボリュームたっぷりのランチ、夜はお酒と人々の胃袋と気持ちを満たしてきました。
有名ドラマ「孤独のグルメ」でも紹介されたこちらのお店の2代目店長が、今回紹介する【佐藤 孝一】さんです。

元々カヤシマにはアルバイトで入った佐藤さんのカヤシマとの歴史や有名ドラマにカヤシマが紹介されるまでのお話し、休日の趣味などをご紹介していこうと思います。

●【カヤシマ】というお店について。
1975年に創業し、今年で46年目になります。
当時コーヒー店ブーム(ペンションブーム)から、コーヒー専門店からスタート。
後述しますが、需要があり今のボリュームたっぷりのランチも佐藤さんが働き始めた頃から現在の「大盛り無料」の形で行っていたそうです。
一時期はブームに乗って店内にゲーム機付きのテーブル(インベーダーゲーム)を2台ほど入れたり、カラオケの機械を導入したりもしていたとのこと。
ちなみに、ゲーム機導入時にはゲーム卓に予約が終日びっちりと入っており、コインをテーブルの上に積んだお客さんがずっと遊んでいたそうだ。
色々歴史を歩み、現在の「食事はたっぷり、お腹が満たされ、お酒を飲んでも楽しい」場所になったそうな。
ランチ後に頂けるコーヒーには、最初の専門店時代をうかがえる深さを感じます。

過去訪れた有名人には歌手のりりィさんがおり、毎年5/4にライブを行っていたそうです。
現在は偲ぶ会を毎年5/4にファンの方と行っているそうです。
※今年は休止だそうです

余談ですが、よく訪れる有名人の中にアニメーター・漫画家・イラストレーターなどで有名な青木俊直さんがいらっしゃいます。
現在、お店には彼の描いた巷で有名な【アマビエ】のイラストが飾ってあるそうです。
テイクアウトの購入などでお店に行く際にはちょっと拝むと疫病退散のご利益があるかも…?


●あのドラマの出演経緯と撮影裏話
筆者の友人は「孤独のグルメ」でカヤシマのナポリタンを知ったと聞き、「吉祥寺といえば!!」で聞くと必ず出る存在になったほどの認知度だなと感じていました。
そんなドラマの出演経緯などもお伺いしましたところ、普通では聞けない裏話もお話ししていただきました。

ドラマ制作の案が出た際、テレビ東京の制作スタッフに友人がいたハモニカ横丁のおふくろ屋台の店主と、武蔵野市観光機構からの推薦店舗の2方向から名前の挙がった【カヤシマ】は、他に数店舗候補があった中最初にスタッフがロケハンにいらっしゃったそうです。
監督やスタッフがナポリタンを一口食べた瞬間、味に惚れてしまったそうで「ここで行こう!!!!」と即決。
他の候補店にお断りの電話をその場でかける熱の入りっぷりだったそうです。

撮影当日は早朝6時から、当初は12時までのスケジュールでした。
主演の松重さんがナポリタンを食べつつ、他のお客さんとの会話をするシーンで会話相手の方(どうやら佐藤さんの知り合いの常連さんだったそうで…)との掛け合いが上手くいかず、ホカホカのナポリタンを作り→撮影→リテイク…を何度繰り返し、監督のOKが出たのが午後の4時。
大変な1日になったそうです。
ただ、スタッフさんはとても丁寧だったそうで、原状復帰も完璧にしてくれたそうです。
ちなみに撮影終了後の原状復帰は10分程度で終了したそうで、プロの仕事に驚いたそうです。


●カヤシマと佐藤さん
ここからは佐藤さんのお話しを始めましょう。
佐藤さんは1990年にカヤシマの社長に就き、現在まで厨房で腕を振るっております。
そんな佐藤さんですが、1973年に学生時代の友人5名と吉祥寺北町1丁目で学習塾を始めました。
どんなお子様にも分け隔てなく教えていく形が評判を呼び、一時期は5店舗180名の生徒が通うまでになったそうです。
その仲間たちとよく通っていたいわゆる「たまり場」だったのが【カヤシマ】。
塾の経営も波に乗っている中、流行りの「コーヒー店」を出店してみたくなり、その勉強のためにカヤシマでアルバイトとして働き始めました。
働きつつ思ったことが、当時カヤシマのあたりに灯りが無かったこと(東急は創業前年に開店していたが、第一ホテルはまだ無かったそうです)、近くに建材屋さんがおり、そこの方々がお昼を食べるのに良いのではないか?と考え、「『この店に行けばガッツリ食べられる!!』というお店にしよう!!」と決め、今のボリュームたっぷり大盛り無料のランチが生まれました。

修業して1年後、塾の仲間たちと共同経営で町田にコーヒー店を開業。当時は同年代の読書サークルなどをやっていましたが…若さ故か人間関係のトラブルや経営上の問題などが重なり解体・廃業。
解散時にカヤシマ初代社長から「辞めるならばウチを手伝ってほしい」という言葉から、社員として働くようになりました。
社員となってからはお店のところでお話ししたような努力を重ね、地域の方とも親交を深め、次第に愛される存在となっていきました。
その中で、先代社長の少々派手で突拍子もない行動などの問題もあり、1990年に社長を交代し就任したそうです。

●佐藤さんについて
趣味はマラソン。現在は少々お休みをし、時間があるときにジョギングをする程度だそう。
ゆっくり完走を目標としていますが、前にはフルマラソンも感想する実力だったとか!
毎月の目標200km、平日お店の営業前に10㎞、休みに20km走り、青梅マラソンや東京マラソンを完走。
また、井の頭公園走る回や酒Run会(走ったあとにお酒を飲んで楽しむ会だったとのこと)などで、地域のマラソン仲間と走っていたそうです。

お店のオススメを伺ったところ、ランチ開始当初からあるナポリタン、オムライス、カレーライス、ポークジンジャーの名前が上がりました。
ポークジンジャーに関しては、タレの作り方から漬け込みなどをこだわったエピソードがお伺いできました。
ナポリタンだけでなく、今上がりましたメニュー(筆者は特にポークジンジャーを推します!!)もぜひ召し上がってみてください♪
ちなみによく行くお店をお伺いしましたが…顔見知りの方のお店に時間を見つけて向かっているそうです☆

現在は地域では無くてはならない存在として、公園通り商店街の会長さんや、商工会議所の活性化協議会の副会長さんを歴任。
前の役員の方から良くしてもらい、商業コミュニティの懇談会などに最初から関わった経験などから『地域の方と一緒に良い街にしたい』『みんなが喜べる街にしたい』との思いを胸に活躍しております。

佐藤さんとカヤシマ。これからも吉祥寺の愛すべき存在として頑張ってほしい!!と筆者は思いました。