【Mr.MOJOの吉祥寺奇譚】第五話 Bar Fort
【Mr.MOJOの吉祥寺奇譚】第五話 Bar Fort
※この物語はフィクションです

一年の計は元旦に有りとは言うものの、立てた目標を達せられる者は案外少ないのではないかと思う。
人間は野生を失った代わりに知性を得た。有名な逸話にパンドラの箱というものがある。パンドラが神から開けるなと言われていた箱を好奇心に負けて開けてしまったとき、箱から飛び出したのは様々な厄災。その中でたった一つ希望だけが残り、その為、人間は希望を失わずに生きる事が出来たという。
希望はもちろん人にとって大切なものだが、私には忘却こそが人にとっての救いだと思っている。物事を忘れられる能力こそ、人と他の生物との決定的な違いなのではないか。そうでなければ鏡の中の自分に絶望しか見えなくなるかも知れない。本来、人とはとてもか弱いものなのだ。
……つまるところ、元旦に立てた誓いを今まさに破ろうとしてるわけで。
バーとは非日常の空間である。扉を開けて一歩、店内に足を踏み入れたら、別世界。扉の外に日常は置いておき、バーの中では非日常を楽しもう……なんて営業トークを私自身、何十年としてきた訳だが。とどの詰まり、欲望に負けバーに足を踏み入れた時点で、今年の目標 「飲み過ぎない」 は達せられないのである。
Bar Fortはジャズやソウルが静かに流れる落ち着いた雰囲気のオーセンティックバーだ。店内は暗く酒は多種にわたり、珍しい貴重なボトル もあったりする。バーテンダーは決して多くを語らないが、かといって寡黙では無い。センスのある会話とは往々にして引き算の会話だ。マスター の青葉氏はそれが出来る稀有な存在。とはいえ、私の来店によって彼のそんな印象は儚くも崩れ去ってしまうのだが。

「いらっしゃいませ」
そう言って私の顔を見た彼はカウンターの向こうで引き攣った笑みを見せるのであった。
〈第六話に続く〉
