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【吉祥寺の歴史シリーズ】井の頭、公園ができるまでと当時あった施設

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吉祥寺の街には色々な歴史が古くからあります。
吉祥寺近隣にお住まいの方や、お勤めの方、学生などの憩いの場となっている井の頭公園。
公園ができる前の【井の頭池】は古来より人々の命を繋いできました。
遺跡や土器などが発掘されたことでも良くわかりますよね。
今回は【井の頭】に焦点を当て、公園ができるまでなどをご紹介していこうと思います。

●名所江戸百景にも描かれた井の頭池
江戸時代、徳川家康が上水道を整備の際に選んだのが【井の頭池】です。
整備された日本で最初の上水路が神田川に流れ、現在にも続いてます。

井の頭池内にある弁財天様は更に遡ること平安時代末期、源経基が弁財天女像を安置、その後源頼朝が建立したそうです。
江戸の人々の飲み水・生活用水として欠かせない水と、水に深くかかわりのある弁財天、江戸の人々から篤く信仰されていました。

歌川広重が描いた「名所江戸百景」では、119枚ある中のほとんどが23区内である中、多摩地域で唯一描かれています。


●公園の誕生まで
井の頭池一帯を公園にする、その考えは1909年から構想されていたそうです。
当時、池の近くには「井之頭学校」という非行少年更生施設がありました。
そこの当時校長をしていました渋沢栄一が、東京市職員だった井下清に学校の庭造りを依頼したことがきっかけでした。
渋沢栄一は知らない方でも2024年からの新紙幣、千円札の方で分かりますね。
公園構想の流れをより強く押し進めるため、当時の東京市長や宮内省、東京市議会などに働きかけ、1913年に公園を設置する議決が可決したそうです。
なお、景観の素晴らしさをそのまま残すため、議案(計画書)には『あまり手を加える必要はない』と記載があるとか。


●1917年5月1日に開園
開園当時から現在まで、形は大きくは変わっていません。
開園当時はまだ七井橋は存在せず、池を行き来する際には渡し船を使用していたそうです。
当時は遠足などで大人気だったとのこと。

開園から5年後の1921年、現在の三角公園の近くに天然プールが誕生。
プールの横には児童用の徒歩池も開場しました。
木の杭で囲いをした簡単な作りでしたが、大いに賑わったようです。
資料写真で飛び込み台のようなものも拝見しましたので、当時としてはかなり人気だったことが伺えます。

翌年1922年には七井橋(当時の名称は中の橋)が完成。
池の行き来に大変便利で、資料からもとても混雑したことが伺えました。

ちなみに、1928年には池の水が氷ることを利用したスケート場もあったそうです。
ちょっと驚きですね。


●弁財天焼失
1924年に井の頭弁財天が1度焼失したそうです。
4月23日の夜、弁天堂の床下から発火したと当時の新聞は報じています。
実はもっと前に1度焼失しているそうですが、長らく放置された後、三代将軍徳川家光が再建したそうです。
今回はその再建したものが焼失したようです。
1927年に再建し、現在はそちらが見られます。

ちなみに、弁財天の近くには稲荷神社がありましたが、こちらは2013年に放火によって全焼してしまったそうです。


今回は以上になります。
また次回をお楽しみに~♪