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【吉祥寺の歴史シリーズ】吉祥寺の映画館

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吉祥寺の街には色々な歴史が古くからあります。
今回は吉祥寺の映画館についてのお話です。
住人の娯楽施設として1925年に『井之頭会館』が吉祥寺で最初の映画館として開館、戦後たくさんの映画館が立ち並びました。
サブカルチャーの地としての吉祥寺の一角をご紹介をいたします。

●戦前からあった唯一の映画館『井之頭会館』
関東大震災があった2年後の1925年に開業した『井之頭会館』、住民や震災で傷ついた人々の心の癒しになりました。
『井之頭会館』は戦時下でも映画を放映。
有名な「李香蘭」が出演した映画などが流れていたことが、当時の新聞の広告欄などから確認できるそうです。

戦後、経営を任された本田實男氏によって『武蔵野映画劇場』が開業されました。


●映画最盛期
戦後の高度経済成長期、映画館の需要は最盛期を迎えました。
吉祥寺にも数々の映画館が建ち、現在ある『吉祥寺オデヲン』や『吉祥寺プラザ』の前身である『吉祥寺オデヲン座』や『吉祥寺東映』なども開業しました。
『武蔵野映画劇場』はその流れの中で開業し、その後『バウスシアター』として生まれ変わり、吉祥寺に映画の魅力を発信し続けてきました。
今やサブカルチャー(主にアニメ映画方面)で有名な、映画館を貸切にして通常より大きな音で放映する「爆音上映」の最初は『バウスシアター』で行われたのですよ。
『バウスシアター』は映画の他にコンサートや落語会などを行っていましたが、惜しまれながら2014年に閉館。
跡地は現在複合型遊戯施設になっております。


●娯楽の多様化による映画館の衰退
現在も残る『吉祥寺オデヲン』や『吉祥寺プラザ』などの映画館も動画サイトの台頭によって苦境に立たされております。
現代、映画館に行かなくても動画サイトなどで映画を気軽に観られるようになり、映画館に足を向ける人々は全盛期と比べて少なくなってきました。
その中でも劇場で観る方々を獲得するべく、様々なアプローチを映画館それぞれで行ってきました。
パルコにある『アップリンク吉祥寺』のような独自に選んだマイナー作品を放映する映画館が増えていくと、吉祥寺の映画館選びが更に多様化するのではないかと考えます。

映画大好きな筆者ですが、「吉祥寺ココマルシアター」のような例は今後無いと良いなと思うのでした。
次回もお楽しみに☆