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【吉祥寺の歴史シリーズ】ハーモニカ横丁について

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吉祥寺の街には色々な歴史が古くからあります。
今回は皆さまご存じ【ハーモニカ横丁】についてのお話です。
戦後の闇市が元になっていることは広く知れ渡っていますが、何故駅前に闇市が広がるほどの空き地が広がっていたのでしょうか?
戦中のお話から現在までをご紹介します。

●『建物疎開』により更地となった駅前
空襲による火災で重要施設に延焼することを防ぐという目的により、1944年に国の指示により各地で『建物疎開』が行われました。
吉祥寺も駅舎への延焼を防ぐという目的のため、駅前の建物はすべて解体し更地となりました。
そのおかげか駅前は爆撃を免れ、戦後きれいな更地が残りました。

●更地が闇市へ
戦後、吉祥寺駅は中央線と井の頭線の2つの鉄道が通っている利便性の良さから、露天商による出店・後の闇市が形成されていきました。
建物が段々と建ち、食料・衣料品・飲食店などがひしめき合うことになる。
特に食料は戦後の配給不足分を補う目的の客でにぎわい、百貨店などがまだ無い頃のため物販店も軒を連ねた。
ここに来れば何でも揃うと言われたほどだったそうだ。
ちなみに1960年代頃の横丁の地図と、現在の地図と照らし合わせると、現在バスロータリーがあるエリアまでお店があったことが伺えます。

●都市整備による流れの変化
1970年代になると、吉祥寺駅周辺の都市整備が進み、ハーモニカ横丁の周辺も『吉祥寺駅北口防災建築街区造成組合』による共同ビルの建設案が出されました。
大手百貨店も次々と出店し、経営が厳しくなる店も出てきた頃です。
ただ、当時120店舗ほどあったお店の借地権などの権利関係が複雑なためか中々あしなっみが揃わず、計画は実現しませんでした。
次第に再開発が進まないことで「街のお荷物」のような存在として冷ややかな目が向けられていた横丁に、新しい風が吹いたのは一件のキッチンバーが出来たことがきっかけでした。

●『ハモニカキッチン』から始まった新風
1998年にVIC(ビデオインフォメーションセンター)の手塚さんによって『ハモニカキッチン』が開店。
白い壁の不思議な飲食店の出現により、若者から「昭和レトロと現代の新しさが混ざったモダンな空間」として人気が出始め、様々な飲食店が出店し始めた。
2000年代にはテレビや雑誌などにも取り上げられるようになり、一気に人気のスポットとして花開いた。
飲食店以外にも様々な業種が個性豊かな店舗を出店、古くからあるお店と新しい店が混ざり合う現在の姿となりました。
2010年代頃には映画やアニメにも出るようになり、今年も沖縄料理の飲み屋や立ち食い寿司が出店したりと今も新しい風が吹き込み続けております。


今回は歴史についてでした。
商店街には現在5つの商店街がありますが、こちらはまたの機会にご紹介します♪
また次回お楽しみに☆