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【吉祥寺の歴史シリーズ】ジャズの街・吉祥寺

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吉祥寺の街には色々な歴史が古くからあります。
吉祥寺を語る上で外せない要素の1つに『ジャズ』の存在があります。
ジャズを愛した人たちが作った様々な「ジャズ喫茶」。
吉祥寺音楽祭の中で行われるジャズのコンサートやコンテスト。
『ジャズ』と一言だけ言ってもたくさんの歴史が育まれた吉祥寺。
今回は簡単に歴史をご紹介します。

●ジャズスポットの誕生
吉祥寺にジャズの聴けるお店が増えていったのは1960年代の後半から70年代。
50年代から徐々にジャズの人気は熱くなっていたようですが、60年代当時レコードは高級品でした。
新卒の初任給の実に1/5もの値段がするレコードを、珈琲一杯でゆっくり聴くことができるという環境が流行りの波に乗り、吉祥寺にも「メグ」や「ファンキー」などの現在だとファンにとっては伝説的なお店が開業していきました。

ジャズが聴けるお店の特徴として「会話厳禁」なところが多かったことが当時挙げられます。
こちらは調べたところ所説ありますが、音楽に集中するために新聞などのめくる音でさえ煩わしく感じる人が、お客同士で口論をすることが多かったことが要因の一つだったそうです。
ジャズブームが徐々に下火になっていった頃には、ジャズが店内BGMとして使われ「お喋りOK」のお店が増え、より親しみやすくする工夫をするところが増えていきました。
現在もあるお店で「会話厳禁」となっているお店は少数だけとなっております。


●『ジャズ』に関する伝説の人々
吉祥寺のジャズ喫茶ブームの火付け役として有名なのが『野口伊織』氏です。
ジャズスポット「ファンキー」を1960年に開店。
こちらは元々お父様がやっていた純喫茶「ブラジル」の地下が発祥だそうです。
2001年に脳腫瘍で58歳の若さで亡くなられてしまいましたが、現在奥様が経営を引き継がれ「レモンドロップ」や「金の猿」など、吉祥寺で有名な様々なお店の経営などでご活躍されております。

また老舗として親しまれ、惜しまれつつ一昨年2018年に閉店したジャズ喫茶「メグ」も1970年に開店。
こちらの創業者は『寺島靖国』氏。
喫茶経営以外に「寺島レコード」のレーベルのプロデューサーや、ラジオのジャズ番組の仕事などを行っている方です。
ちなみに「メグ」の名前は常連の方が引き継いで音楽の親しめる新店舗を開店しております。

この2名によってプチロードはジャズファンには有名な通りとなり、現在も語り継がれております。

●現在も息づくジャズの歴史
ジャズ喫茶などのスポットは、ジャズの生演奏を披露する場として現在続いております。
ペニーレーンにある「サムタイム」は生演奏なども行っております。
美味しい料理やお酒を頂きながら、ジャズに親しむことができます。

現在はコロナ禍の影響で生演奏や、最初にお話ししました吉祥寺音楽祭などは開催が中止となっていますが、いつかまた吉祥寺に生のジャズの演奏が響く日が戻る日を願います。