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【吉祥寺の歴史シリーズ】吉祥寺駅前再開発と大型店誘致

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吉祥寺の街には色々な歴史が古くからあります。
1954年頃から北口駅前広場の拡張などを含めた再開発議論が起こりました。
1957年には現在のJR中央線の高架複々線化計画も起こり、駅前の開発に関する事柄が活発化しました。
この際に現在ある大型店の大多数が誘致されて吉祥寺の地に建つこととなりました。
今回は駅前再開発と大型店誘致についてご紹介します。

●北口駅前再開発
1960年に吉祥寺駅周辺都市計画調査特別委員会が設置され、1964年に再開発計画が決定、本格始動となりました。
この際、駅前にあった東京女子体操音楽学校の跡地の借地権が売りに出されていたためこれを買収しました。

駅前の周辺計画は当時、都市計画の権威であった東京大学高山英華研究室に委託、発表された「高山案」が出されました。
スーパーブロック方式(既存の数街区をまとめて一つの街区としてまとめる)で街づくりする考えが、地元住民による猛反対により再計画。
最終的に現在のような駅前広場を確保し、五日市街道と井の頭通りを繋ぐ吉祥寺大通り、本町新道や元町通りの整備されました。
回遊性を高める特徴として、歩行者専用道路の多さが挙げられます。
サンロードを始めとして、ダイヤ街、元町通り、プチロードやペニーレーンなど大小様々な歩行者専用道路に魅力的な店が軒を連ねています。
歩きやすさは吉祥寺の特徴ですね。


●武蔵野市長『後藤喜八郎』の「回遊性の高い街づくり」構想
通常、大型店は街にある既存の商店との兼ね合いで誘致が消極的な場合が多いですが、吉祥寺に関しては「街の回遊性を高める」目的のために積極的に誘致しました。
実現のため、吉祥寺駅を中心に既存の商店街を包む形で東西南北200mほど離れた地区にそれぞれ大型店舗を配置。
来街者の面的な回遊性を高めようとしました。
まず南に丸井(誘致当初は現在のドン・キホーテの位置にありました)が、次に北の伊勢丹(現在のコピス吉祥寺)が当時のF&Fビルに入居、東の近鉄百貨店(現在のヨドバシカメラ)と西の東急百貨店が最後に誘致されました。
また、1970年にターミナルエコー(現在のキラリナ京王吉祥寺)が開業、1980年代には吉祥寺パルコや吉祥寺東急イン(現在の吉祥寺東急REIホテル)、吉祥寺第一ホテルが次々と開業しました。
最近だと2014年にユニクロ吉祥寺店が開業し、こちらは中道通り商店街と街ぐるみの活動を行っています。

●大型店と街
現在ある大型店は、きっかけもあってか吉祥寺の住民・地域活動と密接につながっております。
イベントなどで回遊性を高めることはもちろん、秋のお祭りにも参加しております。
各地域のお神輿の展示や、一部の方は実際にお神輿を担いだりしている方もいらっしゃるそうです。

今年はお祭りに関しては残念ながら中止となってしまいましたが、地域によってはお神輿の展示だけを行っているところもあるので、もし見かけたら雰囲気だけでも感じてみてください。