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【吉祥寺の歴史シリーズ】吉祥寺の図書館について

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吉祥寺の街には色々な歴史が古くからあります。
吉祥寺の駅から徒歩5分、地域の人に親しまれている「吉祥寺図書館」がございます。
現在の場所にあるのは深い理由があり、そこにできるまでにはたくさんの人の熱い思いと努力が込められております。
武蔵野市内にある他2か所の図書館とともに歴史を紐解いてご紹介します。

●多摩地区最初の図書館
戦時中、都立図書館は相次いで休館や閉館を余儀なくされた中、蔵書を戦火から逃すために当時の日比谷図書館長の発案の元、多摩地区に蔵書を移す計画が持ち上がりました。
その際避難場所として名乗りを上げたのが武蔵野市(当時の武蔵野町)でした。
四谷図書館と下谷図書館の蔵書2,500冊超が運び込まれましたが、開館は終戦翌年の1946年になりました。
この際八王子市立図書館も当時存在しておりましたが、こちらは1945年5月に大空襲によって蔵書もろと全焼したため、多摩地区の図書館は一時無くなり、武蔵野町の図書館が開館した際に前後最初の図書館となりました。
これが現在の「武蔵野市立中央図書館」です。
ちなみに、この時運ばれた蔵書は現在の中央図書館に現在も保管され、当時の四谷図書館印が確認できるものもあるそうです。


●先進的な図書館から時代遅れの図書館に
1946年~1956年頃までは先進的な図書館としてたくさんの市民に利用されてきましたが、1960年代に入りますと各地で図書館が相次いで建設されていきました。
活発にサービス展開している他の図書館についていけなかったのか、1970年代には最も遅れた図書館として名が挙がるようになるまでに。
このため新たな図書館を建設するための用地を市は探しましたが、当時は適当な地が見つかりませんでした。
そのため代替策として現在の「武蔵野プレイス」などの用地を図書室として運営し始めました。
新しい図書館は1970年代後半に起こった「『近鉄裏』環境悪化問題」の解決策として大きく動き始めます。


●ピンク街一掃のための礎として
1974年に開業した「近鉄百貨店」。
その裏側のエリアに続々と風俗店が出店、ラブホテルなども相次いで建てられていき、一気に「夜の街」になってしまいました。
1976年にストリップ劇場が進出、客引きなどが横行するようになり元々この地に住んでいた住民は悩まされることになりました。
特にこの地域を通学に使っていた人々にとってはたまったものではなく、地元町会・PTAなどが激しい反対運動を起こしました。

そんな中、1983年に「近鉄百貨店」の裏側260坪の土地が売りに出されました。
その情報を得た地元小学校PTAが市議会に『その土地を文化・教育用地として買い上げてほしい』と請願書を提出しました。
当時の市長も事態を重く見ており、すぐさま土地購入を担当部署に指示。
続いて「環境浄化に関する条例」や「旅館・レンタルルーム規制条例」議案を議会に提出。
すぐに議会で可決・成立されたことにより図書館などの施設の教育施設の近くには旅館・レンタルルームの新設ができないようになった。

買い上げられた土地をその後図書館を建設してほしいという市民の請願書が出、それを一括して採択する形で『吉祥寺図書館』は現在の地に建つこととなりました。

●地域に親しまれる「元気の街」の象徴に
『吉祥寺図書館』は当時の最先端、明るい図書館として地域を支える存在となりました。
一時は立地ゆえに不安視する声が市議会などで上がったそうですが、地域からは大好評で日曜には来館者が3千人も訪れるようになりました。
駅近という立地から人の流れが大きく、一気に「夜の街」としての顔を払拭、「昼の街」として大変にぎわいました。
この功績からできてからしばらく他の市町村などからの視察が相次いでいたそうです。

現在ももちろん吉祥寺の知の拠点として機能し、吉祥寺図書館を含めた武蔵野市内の図書館の本の貸し出し数は全国の人口10万人以上15万人以下の自治体の中で2003年から2015年の間に10回も第1位を記録したほどになりました。

コロナ禍の影響で人数制限などはありますが、イベントなども行っておりますので調べものなど含めまだ訪れたことのない方はぜひご利用してみてください。