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【吉祥寺今昔シリーズ】ダイヤ街の歴史

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吉祥寺に長きにわたり住み、働き、生活してきた方々にお話を伺い、歴史を紐解いていく新シリーズ【吉祥寺今昔】。
今回は株式会社リベストの荒井弘美様にお話を伺いまして、主にダイヤ街の周辺の歴史を掲載。
今回は「アーケード」にスポットを当て、ダイヤ街の成り立ちや、あの銘菓の開発秘話などをご紹介いたします。


旧ダイヤ街の写真。(撮影:照沼弘久様、提供:荒井弘美様)

●2つの通りが合体してできた『ダイヤ街』
現在のダイヤ街はサンロードやハーモニカ横丁が隣接する、アーケードが付いたT字型の通りを指します。
ここは元々2つの通りが合わさってできた通りになります。
駅前から東急百貨店までを通る道が旧「チェリーナード」、もう1つが「ローズナード」。
現在の名称だと「West zone」と「East zone」に分かれております。
こちらは元々仲町通りと呼ばれていた商店街で、左右の商店を見ながら歩けるほどの道幅だったそうです。
ちなみに、1960年前後東急のあたりには吉祥寺名店会館という商業施設があり、屋上には遊具が設置されていてお子様が自由に遊べたそうです。
後々区画を拡大、整備され現在の東急百貨店がやってくるのは約20年後のお話です。

パルコに接した通りの方も旧名「ローズナード」の一部でした。
現在の名称だと「South zone」と呼ばれる場所です。
こちらは1953年に造成され、お話をお伺いした荒井さんのご実家が商いを行っていた「ハルキヤ」などの商店がございました。
この2つの通りが1961年に一緒になり、現在のダイヤ街の原型が誕生しました。
今や「チェリーナード」「ローズナード」の名称は見られなくなりましたが、昔から住む方々は今でもたまに使用するそうです。


日活の映画館の写真。現在PARCOがある場所にありました。(撮影:照沼弘久様、提供:荒井弘美様)

●PARCOを誘致とアーケード設置
当時のダイヤ街には商店はもちろん、今PARCOの裏にある老舗店「ファンキー」や、荒井様のお父様が誘致した映画館などもございました。
ダイヤ街にはお母様が経営していたレディースの洋服店「ハルキヤ」があり、そこで荒井様は幼少期育ったそうです。
ここにPARCOを誘致したのも荒井様の叔父様。
自分たちの土地と、周辺の商店にお願いし、現在の場所に1980年にPARCOが誕生しました。

また、アーケードを設置したのもダイヤ街が最初になります。
雨が降っても大丈夫な商店街を目指し、道路も当時石畳だったものをアーケードを設置する際に一緒に舗装したそうです。
実はサンロードよりアーケードの設置が早かったのは驚きです。
現在の形になったのは今から約10年少々前のこと。
2階建ての高さだったものを、3階建ての今の姿になったのもこの時です。
柱の色を白にし照明なども工夫され、全体的に清潔感と開放感あふれた特徴的な形。
明るくて気持ちも晴れやかにお買い物できる、工夫を凝らした素敵なアーケードです。
ちなみにこのアーケードのデザインも荒井さんが提案なさったそうです。


●共同開発「井の頭煎餅」
武蔵野市のおみやげ品『むさしのプレミアム』の中でも特にふさわしい商品が登録できる『スーパープレミアム』に認定されている商品に、「井の頭煎餅」があります。
この復刻開発に関わったのが、ダイヤ街の奥様方でした。
井桁の形が特徴的な本品は、元々1905年から1957年まであった「小美濃煎餅店」で販売されていた幻の品。
それを2004年に当時の味を覚えている荒井様のお母様の監修のもと、東急百貨店の店長が開店30周年記念にと復刻に携わって完成させました。
試作に試作を重ねできた、手焼きの素朴な醤油味の煎餅は販売当時は即時完売するほどの大人気商品に。
現在は東急百貨店で常時販売され、いつでも食べられる地元のお煎餅として親しまれております。

たくさんの商店が並び、毎日たくさんの買い物客や地元の人々に愛される『ダイヤ街』。
古くから新しいお店まで様々あるアーケード内を、一度ゆっくりと歩いてみてはいかがでしょう。
お知らせやイベントなどは下記の『ダイヤ街 公式サイト』をご覧ください↓ ダイヤ街 公式サイト


★今回のお話は株式会社リベスト 専務取締役 荒井弘美様にご協力いただきました。