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吉祥寺第一ホテルが営業終了~私と吉祥寺第一ホテル①~

アンダーライン

1987年(昭和62)の5月11日に開業した「吉祥寺第一ホテル」が2022年の3月末で営業終了します。
現在、吉祥寺では新型コロナウイルス感染症の影響下、多くの名店や老舗があわただしく入れ替わっていますが、中でも同ホテル営業終了の知らせは最大の衝撃でした。

1987年といえばバブル前夜。
スターたちがホテルで華やかな結婚式をあげ、家族の記念日や企業のイベントに、バンケットでパーティを開くのが大流行しました。
それまでホテルといえば都心か観光地にあるものでしたが、武蔵野の地で華やかに産声をあげたのが吉祥寺第一ホテルです。
34年の歴史を支え続けてきたベテランスタッフの方々にお話をうかがいました。


~私と吉祥寺第一ホテル①~
営業部 宴会・ボウリング シニアスタッフ 武田秀樹さん<'82年5月入社>

●きっかけはアルバイト

大学のボウリング部で活動していた頃、先輩の紹介で東京ボウリングセンターのアルバイトするようになったのがきっかけです。
当時、ボウリングは盛んでした。
大学はリーグ戦が一部、二部、三部までありました。
青山にあったボウリングセンターも社交場として大変な人気で。
それが吉祥寺で新しくできるホテルに移転することになり、私もそちらへ移ったのです。


今のヨドバシカメラには近鉄デパートが建っていました。
伊勢丹、三越、東急とデパートが競っていて、自転車規制もなかったから歩道は自転車であふれかえっていました。
そうしてできたホテルは都心の青山では建てられなかった高層階(当時)で、8Fの宴会場からは富士山が見えたのです。


デパートの催す呉服の展示会、宴会に使っていただき、結婚式も年間約200件以上あったと思います。
ボウリング場でレーンの音が響くのを聞きながら、いろいろなお客様に会ってきました。
今のような電光掲示板もなく、紙にスコアを書いて上に映すスタイルでした。


いちばんの思い出は私自身の結婚式を挙げさせていただいたことです。
平日に披露宴をさせていただきました。
当時は6階に神殿があり、そこで式をあげてから7階の披露宴会場へ。
緊張していて料理が何だったかも覚えていないですが、沢山の方に祝っていただきました。

●今こそ駆込みボウリングデビュー!
ボウリングの魅力はコツがわかれば必ず上手くなることです。
私は受付とレーンの整備をしていますが、上手な方が投げるのを見るのも楽しいですし、初心者の方が上手くなっていくのを見るのはもっと楽しくやりがいを感じます。
毎日来てくださるお客様もいらっしゃいます。
ひとつアドバイスさせていただくと、ボウリングはピンではなく、レーン上のスパットを見て投げる。
レーンをよく見ると、三角形の点線が打ってあります。
それがスパットです。
右のピンが残ったら左へ、スパットの点と点の幅だけ移動します。
確実に残ったピンが取れるようになります。
ときどきアドバイスさせていただくこともあります。


投げ方にも時代が反映されます。
今の若い人はサムレスといって、親指を穴に入れずに、思い切って転がす人が多い。
実際に投げるまで、両手で支えて一気に。
コントロールはしにくいですが、ボールが曲がって思わぬ方向に飛び込むのが面白いです。

シニアスタッフなのでじき定年を迎えます。
ホテルの営業終了と共に、私も吉祥寺は離れる事になると思います。
地下のボウリング場はぜひ残してほしいと思っています。
これだけの広さの地下でボウリングを楽しめる所は、中央線沿線では少ないと思いますし、誰でも楽しめる娯楽であることには昔も今も変わりありません。

ボールやウェアのショップ併設
ハウスボール(ボウリング場でレンタルできる玉)もいいですが、投げ続けるなら、ぜひマイボールを。
指がぴったりおさまるよう調整すると、確実にコントロールができます。
3月まで、まだ上手くなる時間がありますから、ぜひ東京ボウリングセンターへお越しください。
アドバイスさせていただきます。



青山ボウリングセンターにあったピンを立てる器械


次回「~私と吉祥寺第一ホテル②~」へ続く

【 Writing byAZUSA (編集者/記者) 】
出版社勤務を経てフリー編集者に。
著書に『薫の君によろしく!』(双葉社)、『なごみ歳時記』(永岡書店)、編集協力に『校閲記者の目』(毎日新聞出版)、『神様がやどるお掃除の本』(永岡書店)など。
ヤフーでも記事配信中。